社交ダンス2
先日の記事に中で『音楽があってダンスを踊る場合最終的なゴールは音楽性だと私も思います。』と書きました。すると『 ただ音楽性が最終と言うのが、やはり分からず、私の観点のダンスでは、ダンス=音楽だとしか思えません。やはり社交ダンスは独特なのですね!?』とコメントを頂きました。
う~ん。社交ダンスは独特・・・。
社交ダンスの競技会というのが元々独特と言えば独特ですし。
ダンスを踊るとき、つまりダンスを通して表現するとき『音楽と同調する』ということはやはり大きな大切な重要な事だと思います。
なぜならダンス競技会場ではそこにいる全て人の耳に平等に音楽が届いているからです。意識的に音楽を聴いていようと無意識だろうと音は全員の耳に届いているのです。そして自分達のダンスに観衆の共感を呼び込むためには全ての観衆に届いている音楽を自分の肉体を通して再現してみせることが必要だと思います。
優れたダンサーは時に音楽をコントロールしているようにさえ見えることもあるでしょう。そのことによって多くの者の共感を得ることが出来るのです。
また、ダンスを一緒に踊るパートナーシップ間の動きを調和させるためにも音楽を感じ取ることはとても重要です。たとえば男性が音楽を全く意識せずに女性をリードしようとしても音楽が聞こえてしまっている女性は違和感を覚え、気分良く男性の動きに反応することは出来ないでしょう。その結果お互い踊り心地の悪い思いをする結果になってしまいます。
このように『音楽・男性・女性』の三者が一体となって初めて踊る者と見る者の間に共感が生まれるのです。
とはいえ、社交ダンスの難しいところは自分が感じるままに体を躍動させれば良い、とだけはいかないところにあります。テクニック不足だったり二人で踊ると言うことに対して認識不足だと相手を知らず知らずのうちに押したり引いたりしてしまってバランスを崩してしまうことになります。
バランスが悪ければ音楽を表現することは困難になります。だからダンサーは皆、テクニックを習得することに必死になります。ここが社交ダンスの他のダンスとは違う難しいところで、テクニックの習得が不十分だと結局自分が耳で聞いている音に対して体が反応できないのです。
発展途上のダンサーの中にはテクニックの習得が目的だと取り違えてしまう人もいるかもしれません。だからそうではなくて『音楽があってダンスを踊る場合最終的なゴールは音楽性だと私も思います。』と書いたのです。
二人が組んで踊る。そこが社交ダンスの個性、独特な点なのだと思います。これはあくまで私個人の見解ですが。
とはいえ、音楽性・テクニックが完璧ではないと踊ってはいけないという訳ではありません。テクニックが未熟だろうと自分は自分、現状の自分の精一杯を表現するのに誰かに遠慮する必要はありません。
明日のB級戦はそんな発展途上のダンサー達の精一杯のパフォーマンスを期待したいと思います。ダンスを通して‘今’の自分を表現してください。応援しています!